自分を客観的に見ることが難しい理由【バイアスにかかっているケースです。】
人のことは客観的に見ることはできるのに自分のことは客観的に見ることが出来ない。
多くの人がこの悩みを抱えている現実がある。
なぜ人間は自分のことを客観的に見ることが出来ないのだろうか。
【結論】バイアスにとらわれています。
バイアスの意味:バイアス=思い込み
バイアス=思い込みというのは人間が生きるために必要なものだったため人間にプログラムされています。
しかしこの思い込みによって多くの人が悩まされています。
最も大切なことはバイアスがあるということを理解して事実と主観を分離させて考えることです。
ここで陥りやすいバイアスについて紹介します。
1、現状維持バイアス
現状維持バイアスというのはたとえ、今の現状が悪くても新しい環境へと変化したらより悪い方向へといくことが怖く、現状維持をしようとするバイアスのことです。大きな損をするかもしれないと、友達、仲間を失ってしまう可能性があると損の方を大きくみてしまうのは人間のプログラムとしてあります。辛いのにアルバイトをやり続けたり、やりたいことをチャレンジできなかたりと新しい環境の損をみてしまい、行動することができないのです。
2、インパクトバイアス
インパクトバイアスというのは自分自身の将来の幸福度の強弱を実際よりも過大、過小評価してしまうことです。想像で過大評価することによって現実世界に失望したり、過小評価をすることによて挑戦を妨げるバイアスがはたらく。想像力が豊かなことは昔の人々が生きていく上で大切なことでした。
利用可能性ヒューリティックというのは個人的に経験をしたことをすぐに思い浮かんで判断してしまうことです。昔の人々は物事をじっくりと判断していたら生死に関わる問題だったので直感的に物事を判断する能力がプログラムされたのです。このバイアスがかかることによって全て自分が正しいという思い込みにハマってしまい、人の意見を素直に聞くことができなくなってしまいます。
今回は3つのバイアス=思い込みについて解説してきました。
他にもたくさんの思い込みを人間はしていますが変化を恐れたり過度な期待、素直になれなず物事を深く考えないというのは人間が昔の時代で生き残るために必要なことでした。
だから最も大切なことは事実と主観を分離させることです。
物事を判断するときに素早く決断できないというのは思い込みのせいであることを認識して客観的に物事を判断できるように意識することが大切であると知ることができました。
自分も物事を判断するときに主観ばかりでみていたので客観的にみていくことを意識します。
アドラー心理学の実践できてない本当の理由【結論:変わるしかないと思う素直さと勇気です。】
アドラー心理学について知ってはいるが、行動するには難しいと考える人が多いだろう。
大丈夫です。間違いなく変われます。
対人関係に悩み続けていた僕が変わらざるを得ない状態になった時、全てのプライドを捨てて変わることを決意しました。
落ちこぼれから得た教訓は大きいものです。アドラー心理学を実践してきた僕は日々が良い方向に向いていることは目に見えてわかり始めてきました。
ネタ要員・ノロマの豚・使えない・雑魚...
病名不明の病気、毎日の顔の青ざめ、手、唇の震え、無力感など正直心が限界を迎えていました。
もう変わらざるを得なかった時読んだ本がアドラー心理学の嫌われる勇気です。
自分が実践してきたことで最も大切だと感じたものについて話します。
【結論】
自己受容
私は自己受容が最も人生において大切なことだと思います。
しかし本当の自分を受け入れることが最も難しいことであることもわかります。
他人という存在から縛られている人間の社会では日々比較による劣等感や嫉妬の感情が出てくる人も多いかもしれません。
私もそうでした。
弱くて暗くてダサくて実力のない自分をさらけ出せるはずもなく、18年間自分を偽りながら生きてきました。
変わらなければならない転機が訪れたときに最も抵抗があったのが自己受容です。
まず全力で自分と向き合ってきました。その上でそんな弱い自分も許し、認められるようになってきました。
自分は陽キャや他人と違うようなカリスマ的な存在に憧れを持っていました。そんな自分を演じ続けて気付いたことは心の違和感です。
本来の自分は根暗で文章を書いたり読んだり、深く考えたり、コツコツ積み上げる方のが自分であるというのを薄々と感じながら、しかし自分は違うと言い聞かせてきました。
18年間演じ続けたのは嘘の自分であったため心から楽しむことはできず、他人の視線ばかり気にしていました。
その原因は間違いなく自分が自分を知らずに隠していたことです。
昔から父親に怒られ続けた僕は自分の感情に正直になるということを忘れていました。
怒られないように強い自分を演じる、人から笑われないようにクールな自分を演じる、いやそれさえもわからない反射的に自分をよく演じることによって弱い自分をカバーしていました。
しかしサッカーでどん底に落ちたときようやく自分には実力がないことを認めることが出来ました。それから必死に向き合い続けることによって今まで避けていた自分の弱さを目の当たりにする日々でした。
一年経ってようやく自分が根暗で陰キャで地味であることを少しづつ認め始めることが出来ました。
伝えたいメッセージとはなんかわからないけど無理している人や、今苦しくてもう変わることが出来ないと思っている人に向けて自分と向き合うことができれば
必ず変われます
読んでいただきありがとうございました。自分もまだ変化の途中にあります。自分を深掘りし続けて人生を必ず幸せにします。
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自己紹介【現在スタート地点です】
こんにちはみぞブログです。
この記事を見てくれたら幸いです。
サッカーを13年間続けて学んだこと日々向き合ってきたことについて話していきます。
サッカーでは親父に怒られ続け、怖がりながらまた、全てのものに怯えながら続けてきました。
素直に自分の弱さと向き合って努力するのではなく、実力がないのにも関わらず、チームブランドにこだわって自分の弱さから逃げ続けて最後にはチームメイトからは馬鹿にされ、ネタにされ、笑われ、試合にもほとんど出れず大きな挫折感を味わいました。
自分に正直になることは出来なかったんです。
心が苦しく毎日の帰り道、涙するほどでした。
弱い自分を自分に対しても隠し続けたことの代償に何もわからなくなっていました。
弱い自分を隠す→強がる→他人から笑いの的になる、親父に怒られ泣く→恥をかきたくないため弱い自分を隠す
負のサイクルを18年間生きてきました。
苦しくても素直になれず、自分の弱さを認めることが出来ず、良い自分を演じることによって一時的な快楽を得て何度も同じ失敗を繰り返す人生を送ってきました。
弱い自分を自分に対しても隠し続けたことの代償に何もわからなくなっていました。
そんな私の転機はサッカーでどん底の経験をしたことです。
率直にいうとサッカーの13年間を含め今までの人生は勘違いで努力をしてきました。
サッカーを続けて10年間はある程度うまくいっていました。サッカーIQが非常に低い自分でもたくさんボールタッチトレーニングをすることによって自分の短所を補うことができていました。
しかしメッキが剥がれ初めてきたのは残り三年の時でした。みんなが順調に成長していく中、自分は変化を恐れ実力のなさを隠していました。自分が皆に追い越されていることは違和感を避け続けていた自分であっても見て見ぬ振りはできない状況まで来てしまいました。
そして最終学年になったときに完全に目に見える形となって現れてしまったのです。
それは自分の公式戦の出場時間です。多い人で1800分試合に出ている中自分は約35分間です。
スタメンはありません。途中交代からの途中交代もありました。ネタ要員・ノロマの豚・使えない・雑魚...
病名不明の病気、毎日の顔の青ざめ、手、唇の震え、無力感など正直心が限界を迎えていました。
もう変わらざるを得なかったのです。
自分の見栄やプライドというものと初めて対面し、逃げずに戦わなければいけない環境に立たされました。
自分が向き合うべきだった18年間の弱さと1年間全力で向き合って来ました。素直になれない、ねじ曲がった心を矯正するには時間が必要で日々変化し続けなければなりません。
ひたすらノートに書き、本を読み、YouTubeをみて学び、ようやく人生のスタート地点に立てているような気がします。
これからは心の苦しさと向き合った結論、日々の成長、本の共感した考えについてブログに綴っていきたいと考えています。
心に矛盾を抱えながら生きている人たちに対して少しでも助けになるような記事をかいていきたいです。
よろしくお願いします!